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#4 優しい町とレバニラとホルモン

Author: 灯屋いと
last update publish date: 2026-01-17 23:00:52

 八時半。週末の遅い朝食の時間。

 ──もしかしたら、一般的な家よりもよっぽど健康的な生活習慣なんじゃないだろうかと時々律は自分の家ながら不安になる。よその家がどのような習慣であるかは知らないが、黒瀬家は律でも家業を疑いたくなるくらいには“そこ”に目を向けなければ健全に思えてしまう。食事の時間に遅れても、なにかしら誰かが食べる物を用意することが当然になっている。律には当たり前すぎるのだが、それが当たり前ではないと知ったのは小学校高学年に差し掛かった頃だったろうか。

*****

「あああああああああ!」

 午前中、もうすぐ昼に差し掛かる頃。ゲームをしていたはずの蓮が突然大声を上げてコントローラーを放り出したかと思うとベッドに背中をもたれて、頭を抱えた。蓮に寄りかかりながら部屋に積み上げられているストリート系のファッション雑誌を適当にめくっていた律は連鎖的に体勢が崩れ、雑誌のページが破れそうになる。

「なに? どうしたの」

 テレビの画面を見てもゲームの戦闘で負けた訳でもない。律は体勢を直しながら怪訝な顔をした。蓮の行動はいまだに律でも読みきれない。──思い立ったら吉日系で、唐突過ぎるのだ。

「ハラヘリ。めっちゃレバニラ食いたい。あとホルモン焼き」

「は? さっき朝ごはん食べたばっかじゃない? マジで言ってんの」

「朝稽古したから足んない。朝メシもう消えた」

 健康優良児みたいなことを言うな、と律は少し笑う。

「りつー。メシ食いに行こー? 大勝軒のおっちゃんのレバニラとホルモン。めっちゃ呼ばれてる。いま食わないと絶対後悔する」

「大袈裟だなあ。あと、僕はレバニラもホルモン焼きも苦手」

「おっちゃんのチャーハン好きな癖に。あと野菜炒め」

 頭を抱えた手の指の隙間からちらりと律を見る蓮の目はどこか鋭い。一緒にいる時間が長い分、互いの好き嫌いも知り尽くしている。確かに蓮が突然叫ぶくらいには、ここしばらく商店街の大勝軒──昔ながらの町中華──には行っていない。律もそこのチャーハンと野菜炒めは好きだ。

「……僕、いまだと全部食べ切れる自信ないんだけど」

 朝食が八時半から。普段よりも遅めで、まだ時間は正午前。もっと正確に言えば十一時を少し過ぎたところ。朝稽古をしていない分、律は蓮よりも空腹を感じていない。

「俺が食うから大丈夫じゃん?」

 けろっとした顔で蓮は返事する。

「あー……うん、そうだよね。そうなるよねー」

 どうして同じ年で運動量に差があるとはいえ蓮は平気で自分の倍以上の量を食べれるんだ、と律は思い出したように理解に苦しむ。普段の朝夕の食事では蓮以外の男たちも大食いの者が多く、忘れてしまいがちだがこうやって二人でどこかに食べに行くとなると、律と蓮の食事量の差が歴然として眩暈がしそうになる。

 体質の差は理解しつつも、律は蓮のようにはなれない。食事量、運動量、筋肉量、しなやかさと反射神経。羨ましいとも同じようになりたいとも思わないが、圧倒的健康というのは眩しい。

「りーつー。ハラヘリ。レバニラ。ホルモン」

「はいはい。行こっか」

 一人で食べに行けない訳でもないのに、蓮はいつも律に同行を求める。それ自体は普段通りでなんら変わりない。ただ、今日のように蓮が突然天啓を受けたように衝動的になった時に発動する我儘の様なものだ。

*****

 出かける前に台所に顔を出し、「僕と蓮、お昼外で食べてくるからいらないよ」と言い残して律と蓮は外に出た。目的地は商店街の中にある町中華・大勝軒。律と蓮が子どものころからある昔ながらの中華料理店で、黒瀬家が大所帯・大食いの者が多いため幼いころから何かと連れられることがあった。そんな飲食店が商店街にはいくつかある。焼肉屋、ラーメン屋、居酒屋、寿司屋……。

 店先の赤い暖簾を分けて引き戸を開けて中に入ると「いらっしゃい!」と威勢のいい声が返ってくる。

「こんにちわ」

「おっちゃーん! レバニラ定食! ホルモン焼き!!」

「おう、今日も蓮坊は元気だなぁ。律坊は半チャーハンと野菜炒め半盛りかー?」

「はい」

 まだ客もまばらな店内の適当なテーブルに座るまでの間に、挨拶とオーダーがいっぺんに通ってしまう。顔なじみ過ぎて、近所の子どもとのような扱いに律と蓮はすっかり慣れてしまっている。女将がお冷を置いていきながら、にこにこと笑う。

「律ちゃん、こないだはありがとうって親父さんに伝えといてもらえる?」

「父さんがなにかしたんですか?」

「ちょっと助けてもらっただけよ。お礼言いそびれちゃってね」

 昔馴染みの店ではあるが礼を言われる暴力団と言うのもおかしな話だと思いながら律は「はい」と返事をした。

 厨房から中華鍋の音と美味しそうな匂いが漂ってくる。律は蓮とどうでもいい雑談をしながら料理を待っていると昼時も近くなり、次第に店内は賑やかになっていった。

「蓮。ごはん食べたらどっか行く?」

「あー。土曜なのにメシ食って帰るとかつまんねーなー。ゲーセン寄ってく? 律、対戦しよー」

「パズルゲーならいいよ」

「それ、俺負け確じゃん!」

「だって僕、格ゲー苦手だもん。シューティングゲーでもいいよ。あとさ、本屋行こ」

「律、また本読み切ったん? こないだ買ってたばっかじゃん」

「蓮も読む?」

「読まん」

 蓮は短く返事して機嫌を悪くした。と言っても、ただ拗ねているだけだ。律と蓮、好きなことも趣味も違う。そんな当然のことが蓮には時々、気に入らないらしい。

「はいよ、お待たせ」

 女将のはきはきとした声がしたと思うと、テーブルに料理が手際よく並べられていった。

「唐揚げはオマケね。律ちゃんもいっぱい食べなさいよ」

「ありがとうございます」

 オマケにつけられた唐揚げに律は苦笑する。蓮が喜んで食べるし問題はないのだが、どうにも食事処で「たくさん食べな」という趣旨のことを言われるのが律は苦手だ。

「おばちゃんありがと!」

 屈託なく笑う蓮がいるから律は昔ながらのたくさん食べさせたがる大人に対する後ろめたさが薄らぐ。

 習慣で「いただきます」をしてそれぞれに箸とレンゲを手にする。豪快に一口食べて蓮が「うまっ!」と満足そうにしている。律も「美味しいね」と短く返事した。

 子どものころから変わらない町中華の味。家でも外でもどうしてかたくさん食べさせようとする大人たち。律はそれを優しさの一種だと受け止めている。……その優しさ全てを受け入れられるだけの胃の許容がないだけで。

 比較的ゆっくり食べる律と、一口が大きく勢いよく食べる蓮。けれど二人とも箸使い、食べ方共に綺麗で一緒に育ったものの、性格の違いが現れる。蓮がひょい、と律のチャーハンの皿に唐揚げをひとつ乗っけてきた。女将がオマケしてくれたのだから一つくらいは食えということだ。律はくすりと笑う。蓮は優しい。

 それでも馴染みの店主は律の小食気味を知って、野菜炒めを半盛りにしてくれる。チャーハンも野菜炒めも好きということをわかった上で、律に量を合わせて「残してもいい」ではなく「食べきれる量」にしてくれるのはありがたい。皿に乗せられたさくさくの唐揚げを口に運ぶと、下味が沁み込んだジューシーで柔らかな肉が美味しい。

「ん。美味しい」

「レバニラも食う? めっちゃうまいよ」

「レバーは苦手。絶拒」

 向かいから蓮がレバニラを律の野菜炒めの皿に乗せてこようとしたが、それは断固として拒否した。レバーは癖のある匂いが、ホルモンは食感が苦手で、律はどう言われようとも断る。単純な好き嫌いだ。

「でも、唐揚げもういっこ食べる」

 そう言うと、向かい側で蓮が嬉しそうににやにやした。

*****

 大勝軒を出ると、律は思わず「食べ過ぎた……」と呟いた。

 美味しかったので後悔はしていないが、胃が苦しい。

「あんだけでー?」

 律の倍以上は食べている蓮は平気な顔をしている。いつものことではあるが、たまに蓮の大食いを「いいな」と律は思う。純粋に好きなものを好きなだけ食べ、それでも胃の許容量が悲鳴を上げないというのは羨ましい。

「ねえ、蓮の胃袋の大きさちょっと僕にも分けてよ」

「どうやって」

「いや、無理なの知ってるけどさ」

 そんなことを言いながら律と蓮は商店街と繁華街の間にあるゲームセンターに足を向けた。大きなゲームセンターではなく、個人経営のこじんまりとした店。古いアーケードゲームがいまだに残っており、懐かしい雰囲気もある。客足は少なく寂れているが、律も蓮もよくここで遊ぶ。

 パズルゲームとシューティングゲームの対戦をぎゃーぎゃー言いながらやり、律が連勝すると蓮は憂さ晴らしに格闘ゲームや音楽ゲームなど律がプレイしないタイプのゲームをしに行く。蓮が遊んでいる間、律は店番の年老いた店主と世間話をしながら時間をつぶす。

 散々遊んだ後、本屋に行けば蓮は雑誌と漫画の棚を眺めただけで表にコンパクトに並んでいるカプセルトイを回すのに熱中して「被り!」と大声を上げている。律は本棚を丁寧に眺めて文庫本を何冊か手にしてレジに向かうと、会計ついでに興味はあったのだが見つけられなかった作家の本を取り寄せられないか店主に相談する。

「律ちゃんはよう本読むなー。高校生でそんな本読む子おらんよ。ええことだけどね。ほんと、澪ちゃんによう似とるわ」

 古い作家の名前を出すと、店主の老婆はかかっと笑う。

「その本ならな、取り寄せんでも澪ちゃんが持ってんと思うよ。それでもやっぱ取り寄せるかい?」

「はい。父さんはあの部屋のものを勝手に触られたくないみたいだし」

「竜ちゃんも肝っ玉のちっさい男だねえ」

 老婆は苦笑交じりに取り寄せ伝票に達筆な字で作家名とタイトルを記入していく。本屋の老婆相手になると律の父も母も子ども扱いになってしまい、律は時々笑ってしまいそうになる。そして、父からも知らされない母の話がこの老婆からはよく出てくる。

「来週には入ってると思うけど、入ったら電話するかい?」

「大丈夫です。また来ます」

 会計した本の袋と注文伝票を持って、律は会釈をして本屋を出た。

 店先でカプセルトイを回していた蓮は犬の散歩をしていた近所の子連れと戯れている。犬と子どもと同じ目線になってしゃがみこんでなにやら楽しそうだ。

「蓮。買い物終わったよ」

「ん-! わかった」

 その後も、少しだけ犬と子どもと一緒になって遊んでいる蓮を見て、律はふと目が合った母親の方に会釈した。

「っしゃ。じゃ、またなー」

 蓮が手を振って立ち上がると、なにもなかったように並んで歩きだした。昼前から外に出て、そろそろおやつ時。近所を歩き回っただけにしては十分遊んだ。

「律。あげる」

 隣を歩く蓮が拳を差し出してきて、にやりと笑った。なにかと思って受け取ると、恐らくカプセルトイのおもちゃのキーホルダー。緩い犬のキャラクター。

「被ったから」

「……おそろい……?」

「被ったから!」

 律が首を傾げると、蓮はむきになって繰り返した。

「この犬さ、蓮みたいだね」

 茶色いミニサイズの犬をぶら下げて眺めながら言うと「なんで!?」と返ってくる。律が蓮のことをライオンや大型犬に似ていると思っていることは、本人は知らない。

「れん、って名前つけよっかな」

「だからなんで!?」

 たかがカプセルトイのおもちゃのキーホルダーひとつで盛り上がりながら律と蓮は帰路につく。

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